2013年08月17日
お兄ちゃん。
今年の夏は家族や友人がたくさん遊びに来てくれる楽しい夏。
兄も来てくれた。
兄とは年子で子どもの頃は毎日ケンカしながら育った。
多感な時期にはお互いが気に入らなくて
取っ組み合いのケンカになって服がビリビリ破けた、
なんてこともあったな(^_^;)
夜更けまで二人で飲んでたら
「お前のおかげで女性恐怖症になった。
それで結婚できない」
なんて情けないことを言う兄。
こんな優しい妹はなかなかいないのに。
去年の夏も遊びに来てくれた。
夫は
お兄ちゃんは心配して様子を見に来てくれてるんだよ
と優しい事を言ってくれてるけど
そうなのかな、どうなのかな。
出版社でプロレスの週刊誌を担当してから
また不規則な生活をしているのが分かる。
月刊誌とか季刊の時は痩せてるのに
毎週締め切りのある週刊誌になると太るから。
早くいい人見つけてホッとする時間のある生活をして欲しいな
とちょっと余計なことを思う。
若い頃はもう少し柔らかだったような気がするんだけど
年を重ねるにつれ面倒な性格になってきた。
というか父に似てきた。
私たちは五人兄弟の長男と長女。
自然と両親や弟妹の話になる。
高知に来てからお盆もお正月も実家に帰れていない。
今年の年末は頑張って帰ろう。
家族全員が揃える時間は残り少ないんだろな。

兄を乗せた汽車を見送りながら
小学生の頃の兄の姿が浮かんできて仕方なかった。
兄も来てくれた。
兄とは年子で子どもの頃は毎日ケンカしながら育った。
多感な時期にはお互いが気に入らなくて
取っ組み合いのケンカになって服がビリビリ破けた、
なんてこともあったな(^_^;)
夜更けまで二人で飲んでたら
「お前のおかげで女性恐怖症になった。
それで結婚できない」
なんて情けないことを言う兄。
こんな優しい妹はなかなかいないのに。
去年の夏も遊びに来てくれた。
夫は
お兄ちゃんは心配して様子を見に来てくれてるんだよ
と優しい事を言ってくれてるけど
そうなのかな、どうなのかな。
出版社でプロレスの週刊誌を担当してから
また不規則な生活をしているのが分かる。
月刊誌とか季刊の時は痩せてるのに
毎週締め切りのある週刊誌になると太るから。
早くいい人見つけてホッとする時間のある生活をして欲しいな
とちょっと余計なことを思う。
若い頃はもう少し柔らかだったような気がするんだけど
年を重ねるにつれ面倒な性格になってきた。
というか父に似てきた。
私たちは五人兄弟の長男と長女。
自然と両親や弟妹の話になる。
高知に来てからお盆もお正月も実家に帰れていない。
今年の年末は頑張って帰ろう。
家族全員が揃える時間は残り少ないんだろな。

兄を乗せた汽車を見送りながら
小学生の頃の兄の姿が浮かんできて仕方なかった。
2013年07月22日
空を見ながら。

夕飯を作りながら
外に目をやると
いつもと同じ夕暮れの空。
「青い空は青いままで子ども達に伝えたい...
燃える八月の朝、影まで燃えつきた...」
私が生まれた年に発表された歌が頭のなかを流れた。
子ども達の声がお風呂からキャッキャっと聞こえる。
私や、大人たちは
あの戦争から何を学んできたのだろう。
そして震災と原発事故から何を学んできたのだろう。
何を学び続けなければならないのだろう。
この国が向かおうとする先に
穏やかな日常があるのかな。
まっとうに生きる事が難しい。
健康に生活する。
自分を表現する。
お腹をすかせた子どもがいない。
私の1票、みんなの1票の力を信じて眺めた空。
2013年07月06日
密林だよ....。

雨があがり久しぶりに畑へ。
苗を植える間隔は広めに、と言われ....
そうしたハズだったのに(T_T)
猫のヒタイがジャングルになった。
想像力&経験不足。
ワッサワサ葉をひろげ、茎を伸ばす。
すぐ横にあるアスファルトの駐車場と
空気が違うのがわかる。
もわっと濃い。

もちきび。
キレイな穂が出てきてた!

赤くなったトマトちゃん。

赤くなったシシトウちゃん。なぜ(^_^;)??

オクラの花は白い。
オクラは剣先を空にむけてなる。
アフリカから来たって納得。
英語でもオクラはOKURAだ。

苗を植えてすぐの頃に葉っぱを虫に食べられまくり
無事に育つか心配してたズッキーニ。
かわいい実がなりはじめた。
葉がデカイ。ビックリする。

そして最後に植えたサラダゴボウ。
同じくらいワッサワサになった雑草を手で抜きまくり
ほんの小一時間。
クラクラする(>_<)
2013年05月30日
かにのみち。

梅雨ですね。
大豊にもたくさん恵みの雨が降ってる。
木々の緑がやさしい色になって
畑の苗も
道ばたの草も
雨に揺られて気持ちよさそう。
小さないきものたちも元気。
保育所へ続くみちの横のこの流れに
子どもたちの大好きな沢蟹がたくさん住んでる。
雨が降ると隠れてたカニが出てくる。
だから、みんなこのみちが楽しみ。

今日もほら。

次々に見つけては
大きな声で教えてくれる。

「見て~!!ここにもおったぁ♪」

急いでいる朝は
進まなくて
困ってしまう時もあるけど
実は私も「かにのみち」が楽しみ。
思い出した。
横浜にいた時は
上の子達と近くの川で
同じように
鯉やカメを見ながら歩いたなぁ。
2013年05月18日
そのこころは。

3才のあやが
どこで覚えてきたのか
「ママと結婚する(*^^*)」と言ってくれた。
え、そうなの?(女どうしだけどね...(^_^;))と聞き返すと
「うん。だってあや、お母さんになりたいから(*^^*)」
....ま、まぁ3才のいうことだから
つじつまはあまり気にせず
その先が知りたくなり
へぇ、あやはお母さんになりたいの?と聞いてみた。
「うん。だってお酒が飲みたいから(*^^*)」
ふつうにニコニコしてる。
...う~ん。微妙だ。
私は平均的なお母さんよりお酒は飲まないと思う。
まさか時々飲むときに
私そんなに美味しそうな顔して飲んでいるんだろか?
それにだ、
お母さんになりたい理由って他にあるだろう。
そもそも
この場合、
このやりとり「お父さん」のがしっくりだよ。
などなど心のなかでツッコミながらも
真意のほどをあれこれ妄想して楽しんだ。
今週は女の子二人が体調悪くて
ほとんど仕事に行けなかった。
おかげで
いつもよりのんびり一緒に過ごせた。
で、こんな会話になった(*^^*)
2013年03月30日
はたけ、今こんなです。
いろいろ育ってきて
見に行くのが楽しみ。
暖かい日が続き
朝と夕方でも育ってるのがわかるくらい。

ニンニク。
この葉を食べるのかな。

タマネギは苗を50本植えた。
買うときに最小単位が50本って知って
びっくり!

菜花。
朝はつぼみだったのに
夕方、畑に寄ったら花になってた。
仕方がないから花のも収穫して
ごま和えに。
美味しかった。

ブロッコリー。
近所のスーパーではんぱものになって値下されてたのを
2本買ってきて植えた。
ずっと葉っぱの状態で
ブロッコリーになりそうな気配もなく
心配してたら
ようやく立派なブロッコリーになった♪
最初のメインの株を食べたあと
次々にわき芽がでてきて
思ったよりリーズナブル。
頻繁に食卓に登場。
今夜はスモークサーモンと一緒に
直七ポン酢&オリーブオイルでマリネに。

キャベツ!
キャベツこそ心配をかけてくれた~(ToT)
ぜんぜん大きくならないし
葉っぱが数枚広がったままで
巻かない!
植えたのが遅かったかなぁ…
寒かったかなぁ…
と半ば諦めてたら
やっと巻きだして一気に美味しい春キャベツになった♪
甘くて美味しい(*^^*)
生を味噌マヨでバリバリ!食べると最高。

ネギと高菜(?)とあやの足。

↑
マメ2種類。
↓


サニーレタス。
モソモソしてイマイチな印象だったけど
採れたては柔らかくて美味しい(*^^*)

子どもたちが1番楽しみにしてたのがコレ!
イチゴ。
花は咲くんだけどな。
残念ながら食べられる実になってくれず…

最後にチューリップ。
さっき見たら
ピンクが2本、黄色が1本咲いてた。
あと20本は咲いてくれるはず~(^o^)
と今日はこんな感じ。
見に行くのが楽しみ。
暖かい日が続き
朝と夕方でも育ってるのがわかるくらい。

ニンニク。
この葉を食べるのかな。

タマネギは苗を50本植えた。
買うときに最小単位が50本って知って
びっくり!

菜花。
朝はつぼみだったのに
夕方、畑に寄ったら花になってた。
仕方がないから花のも収穫して
ごま和えに。
美味しかった。

ブロッコリー。
近所のスーパーではんぱものになって値下されてたのを
2本買ってきて植えた。
ずっと葉っぱの状態で
ブロッコリーになりそうな気配もなく
心配してたら
ようやく立派なブロッコリーになった♪
最初のメインの株を食べたあと
次々にわき芽がでてきて
思ったよりリーズナブル。
頻繁に食卓に登場。
今夜はスモークサーモンと一緒に
直七ポン酢&オリーブオイルでマリネに。

キャベツ!
キャベツこそ心配をかけてくれた~(ToT)
ぜんぜん大きくならないし
葉っぱが数枚広がったままで
巻かない!
植えたのが遅かったかなぁ…
寒かったかなぁ…
と半ば諦めてたら
やっと巻きだして一気に美味しい春キャベツになった♪
甘くて美味しい(*^^*)
生を味噌マヨでバリバリ!食べると最高。

ネギと高菜(?)とあやの足。

↑
マメ2種類。
↓


サニーレタス。
モソモソしてイマイチな印象だったけど
採れたては柔らかくて美味しい(*^^*)

子どもたちが1番楽しみにしてたのがコレ!
イチゴ。
花は咲くんだけどな。
残念ながら食べられる実になってくれず…

最後にチューリップ。
さっき見たら
ピンクが2本、黄色が1本咲いてた。
あと20本は咲いてくれるはず~(^o^)
と今日はこんな感じ。
2013年03月26日
あんしんたまご(*^^*)
春爛漫。
有精卵をいただいた。

割ってみたら
ぷっくり盛り上がった白身の真ん中に
レモンイエローの黄身がこんもり。
美味しそう♪

なんか懐かしい感じだなぁ。
いつの頃からか
濃い色の黄身のほうが人気になって
お店でもオレンジに近い色の黄身の卵を見かけることが多くなった。
でも私はこんなレモンイエローの自然な黄身の卵が好き。
朝食の納豆に入れて...
お弁当の卵焼きにもなって...
毎日食べてます。
この黄身、コッテリネットリしすぎず
素朴な味で美味しい(*^^*)
生きているから
常温で涼しいところで2週間は大丈夫。
洗ったら死んでしまうとか。
洗ってないから土とかついてる。
洗うなら
食べる直前にお水でさっとでOK。
それでサルモネラ菌もほとんど洗い流せるという。
自然に育った鶏のあんしんたまご。
なんでも
いじりすぎは好きじゃない。
素の状態がいい。
いいなぁ、いつか鶏を飼いたいな。
何を食べて
どんな環境で育ったか分かる。
休みの日にはプリンをつくろうかな。
ありがとう♪
有精卵をいただいた。

割ってみたら
ぷっくり盛り上がった白身の真ん中に
レモンイエローの黄身がこんもり。
美味しそう♪

なんか懐かしい感じだなぁ。
いつの頃からか
濃い色の黄身のほうが人気になって
お店でもオレンジに近い色の黄身の卵を見かけることが多くなった。
でも私はこんなレモンイエローの自然な黄身の卵が好き。
朝食の納豆に入れて...
お弁当の卵焼きにもなって...
毎日食べてます。
この黄身、コッテリネットリしすぎず
素朴な味で美味しい(*^^*)
生きているから
常温で涼しいところで2週間は大丈夫。
洗ったら死んでしまうとか。
洗ってないから土とかついてる。
洗うなら
食べる直前にお水でさっとでOK。
それでサルモネラ菌もほとんど洗い流せるという。
自然に育った鶏のあんしんたまご。
なんでも
いじりすぎは好きじゃない。
素の状態がいい。
いいなぁ、いつか鶏を飼いたいな。
何を食べて
どんな環境で育ったか分かる。
休みの日にはプリンをつくろうかな。
ありがとう♪
2013年03月24日
あれから2年がたち

鎌仲ひとみさんの映画
「内部被ばくを生き抜く」を観た。
原発のこと
反対、賛成、良いものじゃ無いけど必要、
良く分からない、興味ない...
いろいろだろうけど
先入観なしで見て欲しい映画。
初めて鎌仲ひとみさんの映画を観たのは
原発事故の後、4月の渋谷だったと思う。
震災の混乱で延期になっていた上映が再開したのを知った友人が勧めてくれた
「みつばちの羽音と地球の回転」
原発のエネルギーに頼らなくても生活していけるんだよ
とう話。
実際に北欧の国では自然エネルギーで生活している
という事実が
絶望感と緊張でいっぱいだった私に
光を見せてくれた。
帰り道、気分が少し軽くなっていた事を覚えてる。
何かをしなくちゃ!
という思いが湧いてきて
いつも
どうしたらいいのか、
何をするべきかを考えていた。
みつばちの....映画がきっかけをくれたのかもしれない。
翌月には人生で初めてデモに参加した。
芝公園から新橋まで家族で歩いた。
あやはまだ赤ちゃんでベビーカーに乗せて歩いた。
爽やかな晴れた日だった。
ヘルメット姿のたくさんの警官がいて
悪いことをしに行く訳じゃないのに
緊張して
子どもと繋いでいた手に力が入った。
デモって参加するまでは怖いイメージがあったけど
民族音楽の打楽器を鳴らす人もいたりして
穏やかな雰囲気でニコニコ笑顔があふれ
ゆっくり歩けた。
そして
原発はいらない!
という同じ思いの人がこんなにもたくさんいるんだ
ということが嬉しかった。
そういえば
デモの前の集会では、
生活クラブや大地を守る会ののぼり旗を目にしてほっとしたのを思い出す。
6月には代々木のオリンピック記念センターで開催された
東京平和映画祭に行った。
原発のない世界はつくれる!
子どもたちが笑顔で暮らせる未来に
というメッセージのもと
チェルノブイリの子どもたちのこと
日本の原発で働く人たちのこと
映像と講演で伝えられた。
いままで何となく知ってるように感じて
ちゃんと知ろうとはしていなかったことだった。
そして翌月には高知に下見に来て
8月に高知に住み始めた。
もともと
ビルや排気ガスや騒音の街ではなく
水があって、土があって、緑があって
自然の音が聞こえる地で
子どもが育つ生活がしたいね
と話していたから
降ってわいた話ではないのだけれど。
震災がなければ実現しなかったかもしれない可能性もある。
一度しかない人生。
いつ何があっても不思議じゃない
ということが分かった。
どう生きるか。
どう守るか。
私たちの選択だった。
「内部被ばくを生き抜く」
この映画のなかでサバイバル術を教えてくれる訳ではない。
自分で守るためには
知ること
そして行動する事。
原発事故で放出された放射性物質が
空気から
水から
食べ物から
私たちの身体に入ってきた。
そして生態系に入り込んだ放射性物質が
今も、
この先も、
身の回りの土埃や塵や
食べ物から体内に入り込んでくる。
放射性物質には
色も臭いも味もない。
目にも見えない。
気づかぬうちに体内に取り込んでしまう。
そこから先は運。
たまたま食べたもの
たまたま通った道
たまたま降った雨
たまたま住んでいるところ
いつ、どこで、どうやって摂取してしまうかわからない。
そして同じ状況にいても
その人の身体次第で影響を受けるかどうかが違ってくる。
いわゆる個体差。
放射性物質に敏感な身体かどうかで
ガンや白血病やその他の色々な疾病を
発症するしないが左右されるかもしれない。
自分の身体が
どの放射性物質に敏感なのか
を知っている人なんてはほとんどいない。
しかもすぐに発症する事はまれで
5年、10年、20年後にやってくる。
その時になって
あの原発事故後の放射能が原因だなんて
証明することは難しくなっているだろう。
因果関係がはっきりしなかったら国は助けてくれない。
それに、原因が分かったとしても病気が治るわけではない。
そんな事が私の小さな子どもたちに起きてほしくない。
誰にも起きてほしくない。
なるかならないか分からないことを心配して
神経を尖らせて大騒ぎするより、
こうなったのはもう仕方ない、
と心穏やかに今まで通りの生活をするほうがまし
と思うかもしれない。
国も
権威のある所の学者も大丈夫って言ってるし。
大地震があって原発事故が起きたのは事実だし
放射性物質がたくさん放出されたのも事実。
これは変えられない。
今はまだ事実じゃないけれど
自分の子どもが病気になったとしたら
その時にようやく事実になる。
でもそれでは遅い。
この先にどんな事が起きるのか
誰にもはっきり分からない。
誰のせいにもできない。
自分が決めて動かないと誰も守ってはくれない。
私は子どもたちや
その先に続く命を
守るためにどう生きたらいいのか。
恥ずかしい話だけれど
あの大地震と原発事故が起きてから
初めてちゃんと考えるようになった。
自分の事として。
大切なものを捨て
放射能から逃げてきても
それがイコール幸せな暮らしではない。
仕事もない、知り合いもいない、
言葉も文化も習慣も少し違う土地で生きていくことは
簡単な事ではない。
想像もしていなかった辛いことがあっても
引っ越しせずに今まで通りの暮らしを続けた方が幸せだったのに、
と後悔しないだろうか?
自問自答の日々が続いた。
考えに考えた。
夫とも話をし続けた。
でも私の本能は
原発が爆発したと聞いた時に感じた事を変えなかった。
最初から同じ答えだった。
母親としての本能だったと思う。
子どもを守らなきゃ。
私が正しい!
私と同じことをしなかった人たちがおかしい
と言っているのではない。
私が私の本能に従って
後悔しないための道を選んだ
ということ。
広島、長崎で、
チェルノブイリで、
湾岸戦争で
福島で
何が起きて
今どうなっているのか。
まずは知ることから始めた。
行動するためには知ることは大切。
そして忘れないよう
確認する機会を持つことにした。
やはり関東と四国では切実感が違う。
東北と関東でも違うように。
だから
高知に移り住んできて
道端の葉っぱや石ころをあやが口に入れても、
雨上がりの水溜まりに手を入れても、
あっダメ!!
と思わないで過ごせる日々が続くと
あの頃の心臓が痛くなる緊張感の日々とは違ってくる。
危機が目の前には無いように感じてしまう。
四国まで来たからもう大丈夫、安全だ
と思ってはいない。
狭い日本
放射性物質は空からも海からも
流通している物からも
四国にもやって来ている。
まだまだ終わってない。
それを実感して
さぁ次はどうする
と目を開けてしっかり前を見て考えなさい
私にはそんなメッセージだった。
2013年03月20日
お山のてづくり市。

先日の日曜日「てづくり市」に行った。
このてづくり市
関東に住んでた頃に良く行ってた
フリマとか骨董市みたいで楽しい。
古着や骨董品はないけれど
てづくりや自然なお菓子や食べ物、飲み物、焼き物、雑貨、苗
マッサージに薪割りやスケボー体験、ドッグランまである。
地元、嶺北からもたくさんのお店が参加してた。
お祭りで並ぶプロのでみせの食べ物や既製品とは違って
てづくりの、
きちんと作り手を感じることができる商品が並ぶという
なかなか無い「てづくり市」は
嶺北っぽいのかもしれない。
目の前を吉野川が流れる屋外の開放的な雰囲気のなか
家族や友達と休日を
のんびり、ゆったり過ごせる。
場所もいい。
昔、教習所があったというところで
国道沿いにあるけど
数メートル低くなっていて
国道を走ってくると賑わいが視界に入ってきた。
平地が少なくて駐車スペースも少ないこの嶺北で
雰囲気も立地的にもピッタリの場所だな
と、当日会場で過ごしてみて実感。
時々通るときに目に入る景色のなかの
「教習所跡地」の印象とは
ずいぶん違ってたから。
桜のつぼみがほころびかけた
春の穏やかな陽気のなか
民族音楽のライブ演奏があって
打楽器の軽快なリズムに合わせて踊ってる子どもたちの姿。
同じ嶺北に住んでいて
会いたくても
なかなか会えなかったお友だちにバッタリ会える
なんて嬉しいこともある。
次回も行きたい
と楽しみな場所ができた。
2013年03月20日
サボテンですか....?

いいえ、
多肉植物というのだそうです。
かわいい(*^^*)
先日、隣町のてづくり市で買った。
少し前からブームになっていると言われたけど
こんなにじっくり見たことがなかったから
今まで気に止めたことがなかった。
ぷっくりとした葉がいい。
パステルっぽいほわぁっとした淡い色とあってる。
紫好きなわたしは特にこの紫が気に入ってる。
(友人には紫好きな人は欲求不満なのだといわれたけど(^o^;))
この鉢を売ってたお店には
20~30個の多肉植物の鉢が並んでた。
1つ1つの鉢の
大きさも形も、種類も株数も色みも違うのが
ふんわりとディスプレイされて並んでて
思わずしゃがみこんで見いってた。
買いたいのだけれど
どれもかわいくて
決めかねて
てづくり市にいた数時間のなかで
何度か見に行っては考え....
見に行っては考え...
最後にようやく選んだふたつがこれ。
とても気に入ってます。
そして
なんといっても
お世話に手がかからないのが私向き。
水やりは
このぷっくりした肉厚の葉がシワっとなったら
少しあげればいい。
梅雨時は湿気があるからあげなくていい。
あとは
日に数時間は日光浴させれば充分。
日に当たらないと
このかわいいぷっくりがひょろ~っと伸びてきて
色も薄くなってしまう。
それに例えば
このぷっくりが1つポロっと取れてしまっても
それを土に植えたらそのままま育つ。
なんとまぁ。
そのうち
好みのアレンジで次の鉢も作れるというわけ。
2013年03月15日
お湯をかける日々
ぽかぽかの高知市内とは違って、
山あいにあるここ大豊町では毎朝車のフロントガラスにお湯をかける日々が続いている。
となり町の本山町に事務所を開いてからもうすぐ2ヶ月になる。
事務所は、誰でも気軽に寄ってもらえる場所としてとても役に立っている。
近くにきたからと手土産を持って寄ってくれるお客さんにお茶を出す。
30分ほど情報交換をして、帰っていく。
入れかわり、立ちかわり、人がくる。
そうやって話しをしているうちに新しい仕事の話しが決まる。
受注が増える。
とてもいい循環が始まった。
一時は貯金も切れかけて、正直どうしようかとあせった。
来週食べるお米を心配したのは貧乏していた学生時代以来だった。
ここに移住しようと決めた時、こういう事態はある程度覚悟していた。
それが現実になると、実際あせる。
今はやっとトントンまで回復してきた。
こんなに忙しいのに、トントンだ。
一ヵ月先はわからない。
おとといは地元のお米を30kg買って帰った。
30kgの袋の重みが肩にずっしりと、気持ちよかった。
この土地に裸一貫で来たのは、そういう実感が欲しかったのかもしれない。
地元の新聞記者が電話をかけてきて、「移住者はオスプレイをどう思うか」と聞かれた。
放射能から逃れてきた僕ら移住者がPM2.5やオスプレイのことをどう思っているのか、
まわりの人達はやたらと聞きたがる。
ちょっとうんざりした感がなかったわけではない。
記者さんには悪かったけど「(今の)僕にとってはどうでもいいことだ」と答えてしまった。
オスプレイは腹立たしいけど、
なかなか生活を安定させられない自分の方がずっと腹立たしい。
だから、
たぶんここでオスプレイに怒るのは、八つ当たりするみたいで嫌だったのだと思う。
おかしな話しだけども。
山あいにあるここ大豊町では毎朝車のフロントガラスにお湯をかける日々が続いている。
となり町の本山町に事務所を開いてからもうすぐ2ヶ月になる。
事務所は、誰でも気軽に寄ってもらえる場所としてとても役に立っている。
近くにきたからと手土産を持って寄ってくれるお客さんにお茶を出す。
30分ほど情報交換をして、帰っていく。
入れかわり、立ちかわり、人がくる。
そうやって話しをしているうちに新しい仕事の話しが決まる。
受注が増える。
とてもいい循環が始まった。
一時は貯金も切れかけて、正直どうしようかとあせった。
来週食べるお米を心配したのは貧乏していた学生時代以来だった。
ここに移住しようと決めた時、こういう事態はある程度覚悟していた。
それが現実になると、実際あせる。
今はやっとトントンまで回復してきた。
こんなに忙しいのに、トントンだ。
一ヵ月先はわからない。
おとといは地元のお米を30kg買って帰った。
30kgの袋の重みが肩にずっしりと、気持ちよかった。
この土地に裸一貫で来たのは、そういう実感が欲しかったのかもしれない。
地元の新聞記者が電話をかけてきて、「移住者はオスプレイをどう思うか」と聞かれた。
放射能から逃れてきた僕ら移住者がPM2.5やオスプレイのことをどう思っているのか、
まわりの人達はやたらと聞きたがる。
ちょっとうんざりした感がなかったわけではない。
記者さんには悪かったけど「(今の)僕にとってはどうでもいいことだ」と答えてしまった。
オスプレイは腹立たしいけど、
なかなか生活を安定させられない自分の方がずっと腹立たしい。
だから、
たぶんここでオスプレイに怒るのは、八つ当たりするみたいで嫌だったのだと思う。
おかしな話しだけども。
2013年03月10日
朝のはたけ。

久しぶりのブログ。
家の近くで小さなはたけを借りて
少しずついろいろ植えている。
むすめと二人で草取りに。
こちらでは「草ひき」というのだけれど。
この数日ですっかり温かくなって
雑草も一気に育ってる。
キャベツ、タマネギ、ニンニク、
菜花、レタス、高菜、ネギ、
ソラマメ、スナップエンドウ、ブロッコリー、
いちご。

畑の隅っこに
植えたチューリップの球根も芽を出してる。
寒い日がずぅ~っと続いて
なかなか芽が出てこなくて心配してたから
嬉しい!
色んな色のが混ざってる球根を30個くらい植えてる。
咲いたらどんなになるんだろう…(*^^*)

ペンペン草を集めるのに夢中になってるむすめ。

この黄色いのは何の花だろう。

ペンペン草集めのあと
むすめが収穫したのは
ネギと高菜と菜花。
さて、ご飯は
何にしようかな。
2012年10月30日
新しい学校づくり検討委員会
本来であれば今年の春までに結論を出し、再来年の4月から実施されるはずだった
大豊町内の3小学校の統合。教育委員会が主導した学校統合の議論は、PTAの
意見をまとめることができず、暗礁に乗り上げたままだった。
あれから半年が経ち、教育委員会が選んだのは「新しい学校づくり検討委員会」を
設立し、そこで統合の問題を話し合うというものだった。
僕は、娘たちが通う保育所の代表として委員に選ばれ、委員会に出席した。
委員の構成としては、各小学校から3名づつ、各保育所から2名づつの計15名、
それに有識者として高知大の「N先生」と今は引退しているのか知らないが長年
嶺北地域で教育に携わってこられたという「I先生」の2名が加わり、計17名の組織だった。

この検討委員会は町議会で「新しい学校づくり検討委員会設置条例」というのが作られ、
それに従い委員会は話し合いをすることになる。
冒頭、学識経験者のN先生から、この条例の第1条のところ「検討することが目的」という
文言は、これで問題ありませんか?という発言があった。
えっ?と手元も条例の紙を見た。 第1条の(目的)のところを探す。。
「・・・・大豊町立小学校再編について具体的に検討することを目的とする。」と書いてある。
検討することが目的ってどういうこと?教育長に質問が飛んだ。
ここで議論され、結論づけられたことであっても、それは意見であり、決定ではない。
つまり、この委員会で結論が出たとしても、また教育委員会やら議会やらにひっくり
返されることもありえるのだ。。。委員の皆さんは、PTAの意見が無視され続けた
これまでの経緯を思い出し、また同じことが行われる?。。と、会場が一瞬ざわついた。
しかし一方では、この少人数で統合問題を決定できるわけないか、という気持ちもあり、
誰かが、この委員会として結論を出すことがまず重要でしょう、というようなことを
発言してから、話しは先に進んだ。
委員会の会長1名、副会長2名を選出。会長が議長になり、話し合いが始まった。
まずは「議題」を決めましょう、え~と、ぎだいぎだい。。。。
その時、委員たちの頭に浮かんだのは、「議題ったって、結局、どの小学校に統合
するかでしょ?」。確かに、その問題が乗り越えられないから今こうして委員会が
立ち上がったのだ。
そして誰かが、「結局、新校舎を建てるか、どこの小学校使うか、だけだよね?」と
口火が切られ、またしても、俺はこっち、私はここ、新校舎はなくなったの?と議論が
始まった。 あーあ。。。また始まっちゃったよ。。。
途中、学識の先生方へ複式学級の長所短所は何かなどの質問が飛んだりしたが、
結論を急ぐ雰囲気は変わらなかった。
そして誰しもが言葉を失いかけた時、N先生から「聞いていると、統合する場所の
ことばかり話しているけど、このままだと堂々巡りで永遠に結論は出ませんね。
この委員会は、新しい学校づくり検討委員会なんだから、まずはどんな学校が
大豊町にはふさわしいのかを議論するところから始めるべきじゃないですか?
最終的には場所をどこにするかという問題は乗り越えないといけないが、
その前に、今あるそれぞれの学校や地域の良いところを生かした大豊町らしい
小学校のあり方を考えないことにはいつまでたっても前に進まないんじゃないですか?」
という発言があった。
ついで、それまでずっと皆の話を聞いていたある委員が口を開いた。
「僕自身は高知市内のマンモス校で育ったので、血縁がいる大豊町に来たときは
いろいろ感じることがあった。もちろん子供が少ないというものあったが、田舎は
どれだけ田舎らしくなれるかが田舎の特徴だんだろうと思っている。それから、
お年寄りに話しを聞いて、どうやって稲を作っていたとか、どうやって生活をして牛を
どうやって飼っていたとか、そういう話しをきいていると、地域によって文化が違うというのが
明らかにわかる。西豊永と東豊永なんていうのは明治以前の行政区分だし、江戸時代の
古文書などを見ると大杉村と豊永郷は違った生活だったことが分かる。
つまり代々に渡って先祖がここで暮らしていたということ。そしてみなさんそのDNAを
引き継ぎながら、また地域の文化を引継ぎながら大豊町が形成されてきた。東は東で、
西は西で、自分たちの文化に誇りを持っている。しかし全体としてみた場合、西は東の、
東は西の文化の違いや素晴らしさを町内の皆が知っているのかが、すごく疑問だった。
この委員会の中では、そういう全体的なビジョンをみんなが共有できるかが、かなり重要な
ポイントではないでしょうか?
それから、大豊町のことは史跡だけを見ても絶対にわからない面がある。この斜面だから
こういう生活ができた、この平地があったからこういう生活ができたという、その地元の人が
引き継がれてきたこと、それを子供にどうやって伝えていくか、そこが子供が田舎に
大豊町に誇りを持てるかというのはそこのつながりをどう伝えていくかなんだと思う。
そして学校づくりの視点。どこの視点から見るか。今の行政区分、今の思考方法から
見るのか。子供の視点で見るのか。行政を、町をどう作っていくかで見るのか。
みなさんがいろいろな視点から見て言われることは、それぞれみんな正しいけれど、
言ってみればサッカーのルールと野球のルールと相撲のルールで話し合っているので、
勝負も白黒もつかないし、そのうちみんな意見が出なくなってくる。
なので、新しい学校を作ろうと言う時、どこの視点から見るのか、何をどうするのかは
すごく重要なポイントだと思う。ここにいるみんなが認識をするのか、それともみんなで
一つの共有の財産を持たないと、それは前に進んでいかないと思う。
たとえば、高知市内なんかから通われている先生方に、大豊町はどんなところが
不思議だったかをここで聞くのも良いと思う。ここにいるみんなで、うちはこうだとこうだと
言い合うだけでも、それは一つにまとまっていくことだと思う。先ほど意見が出たように、
町長さんを呼んで町づくりの観点から話しを聞くのもありだと思う。それぞれの地域の
尊敬できる部分を出し合って、新しい学校づくりのビジョンにすることはとてもいいことだと
思います。」
地獄で仏とはこのこと。この意見に皆は本当に救われた思いがしたと思う。
こうして委員会は、新しい学校についてのビジョン作りを進めていくことで合意を得た。
これは我々委員だけが意見をまとめればいいという問題ではなく、実際にはPTAや
地域の皆さんも参加して話し合うべき内容のように思うが、現実的に全体で話しあうのは
難しいので、とにかくまずは我々が考えをまとめるのだと思う。本当に大変なのは
これからだろうが、今まで膠着状態だった小学校統合問題が少しだけ前進したような
気がした。
次回の委員会は11/19(月)、大田口のふれあいセンターで開催することになった。
大豊町内の3小学校の統合。教育委員会が主導した学校統合の議論は、PTAの
意見をまとめることができず、暗礁に乗り上げたままだった。
あれから半年が経ち、教育委員会が選んだのは「新しい学校づくり検討委員会」を
設立し、そこで統合の問題を話し合うというものだった。
僕は、娘たちが通う保育所の代表として委員に選ばれ、委員会に出席した。
委員の構成としては、各小学校から3名づつ、各保育所から2名づつの計15名、
それに有識者として高知大の「N先生」と今は引退しているのか知らないが長年
嶺北地域で教育に携わってこられたという「I先生」の2名が加わり、計17名の組織だった。

この検討委員会は町議会で「新しい学校づくり検討委員会設置条例」というのが作られ、
それに従い委員会は話し合いをすることになる。
冒頭、学識経験者のN先生から、この条例の第1条のところ「検討することが目的」という
文言は、これで問題ありませんか?という発言があった。
えっ?と手元も条例の紙を見た。 第1条の(目的)のところを探す。。
「・・・・大豊町立小学校再編について具体的に検討することを目的とする。」と書いてある。
検討することが目的ってどういうこと?教育長に質問が飛んだ。
ここで議論され、結論づけられたことであっても、それは意見であり、決定ではない。
つまり、この委員会で結論が出たとしても、また教育委員会やら議会やらにひっくり
返されることもありえるのだ。。。委員の皆さんは、PTAの意見が無視され続けた
これまでの経緯を思い出し、また同じことが行われる?。。と、会場が一瞬ざわついた。
しかし一方では、この少人数で統合問題を決定できるわけないか、という気持ちもあり、
誰かが、この委員会として結論を出すことがまず重要でしょう、というようなことを
発言してから、話しは先に進んだ。
委員会の会長1名、副会長2名を選出。会長が議長になり、話し合いが始まった。
まずは「議題」を決めましょう、え~と、ぎだいぎだい。。。。
その時、委員たちの頭に浮かんだのは、「議題ったって、結局、どの小学校に統合
するかでしょ?」。確かに、その問題が乗り越えられないから今こうして委員会が
立ち上がったのだ。
そして誰かが、「結局、新校舎を建てるか、どこの小学校使うか、だけだよね?」と
口火が切られ、またしても、俺はこっち、私はここ、新校舎はなくなったの?と議論が
始まった。 あーあ。。。また始まっちゃったよ。。。
途中、学識の先生方へ複式学級の長所短所は何かなどの質問が飛んだりしたが、
結論を急ぐ雰囲気は変わらなかった。
そして誰しもが言葉を失いかけた時、N先生から「聞いていると、統合する場所の
ことばかり話しているけど、このままだと堂々巡りで永遠に結論は出ませんね。
この委員会は、新しい学校づくり検討委員会なんだから、まずはどんな学校が
大豊町にはふさわしいのかを議論するところから始めるべきじゃないですか?
最終的には場所をどこにするかという問題は乗り越えないといけないが、
その前に、今あるそれぞれの学校や地域の良いところを生かした大豊町らしい
小学校のあり方を考えないことにはいつまでたっても前に進まないんじゃないですか?」
という発言があった。
ついで、それまでずっと皆の話を聞いていたある委員が口を開いた。
「僕自身は高知市内のマンモス校で育ったので、血縁がいる大豊町に来たときは
いろいろ感じることがあった。もちろん子供が少ないというものあったが、田舎は
どれだけ田舎らしくなれるかが田舎の特徴だんだろうと思っている。それから、
お年寄りに話しを聞いて、どうやって稲を作っていたとか、どうやって生活をして牛を
どうやって飼っていたとか、そういう話しをきいていると、地域によって文化が違うというのが
明らかにわかる。西豊永と東豊永なんていうのは明治以前の行政区分だし、江戸時代の
古文書などを見ると大杉村と豊永郷は違った生活だったことが分かる。
つまり代々に渡って先祖がここで暮らしていたということ。そしてみなさんそのDNAを
引き継ぎながら、また地域の文化を引継ぎながら大豊町が形成されてきた。東は東で、
西は西で、自分たちの文化に誇りを持っている。しかし全体としてみた場合、西は東の、
東は西の文化の違いや素晴らしさを町内の皆が知っているのかが、すごく疑問だった。
この委員会の中では、そういう全体的なビジョンをみんなが共有できるかが、かなり重要な
ポイントではないでしょうか?
それから、大豊町のことは史跡だけを見ても絶対にわからない面がある。この斜面だから
こういう生活ができた、この平地があったからこういう生活ができたという、その地元の人が
引き継がれてきたこと、それを子供にどうやって伝えていくか、そこが子供が田舎に
大豊町に誇りを持てるかというのはそこのつながりをどう伝えていくかなんだと思う。
そして学校づくりの視点。どこの視点から見るか。今の行政区分、今の思考方法から
見るのか。子供の視点で見るのか。行政を、町をどう作っていくかで見るのか。
みなさんがいろいろな視点から見て言われることは、それぞれみんな正しいけれど、
言ってみればサッカーのルールと野球のルールと相撲のルールで話し合っているので、
勝負も白黒もつかないし、そのうちみんな意見が出なくなってくる。
なので、新しい学校を作ろうと言う時、どこの視点から見るのか、何をどうするのかは
すごく重要なポイントだと思う。ここにいるみんなが認識をするのか、それともみんなで
一つの共有の財産を持たないと、それは前に進んでいかないと思う。
たとえば、高知市内なんかから通われている先生方に、大豊町はどんなところが
不思議だったかをここで聞くのも良いと思う。ここにいるみんなで、うちはこうだとこうだと
言い合うだけでも、それは一つにまとまっていくことだと思う。先ほど意見が出たように、
町長さんを呼んで町づくりの観点から話しを聞くのもありだと思う。それぞれの地域の
尊敬できる部分を出し合って、新しい学校づくりのビジョンにすることはとてもいいことだと
思います。」
地獄で仏とはこのこと。この意見に皆は本当に救われた思いがしたと思う。
こうして委員会は、新しい学校についてのビジョン作りを進めていくことで合意を得た。
これは我々委員だけが意見をまとめればいいという問題ではなく、実際にはPTAや
地域の皆さんも参加して話し合うべき内容のように思うが、現実的に全体で話しあうのは
難しいので、とにかくまずは我々が考えをまとめるのだと思う。本当に大変なのは
これからだろうが、今まで膠着状態だった小学校統合問題が少しだけ前進したような
気がした。
次回の委員会は11/19(月)、大田口のふれあいセンターで開催することになった。
2012年10月27日
外にでると。

ベランダからのこの眺めが好き。
休みの朝、
洗濯を干してると
一緒になって子どもたちがベランダに出てくる。
目の前の畑で毎日仕事をしてるおばちゃんを見つけて
「おぉ~い!おはよ~♪」
と手をふる。
すると
「袋もっといで。
イモやるから」と。
やったぁ♪と
娘ふたりと母の女三人組でレジ袋を手に
いそいそと畑へ~(*^^*)
こんな感じで
会うといつも声をかけてくれる。
そして
畑の野菜や
作りたてのコンニャクなんかをぽ~んと分けてくれる。
ちょっとぶっきらぼうな感じなのに
あったかい人。

文の頭ぐらいおっきなサツマイモとネギをもらって
おまけに
ふかしいもまでもらって。
畑のふちに腰かけてお芋を食べてたら…

カマキリ。
真夏よりも秋のほうがたくさん見かける気がする。
なんでだろ。
お腹も大きいし
産卵かな。
そういえばカマキリって
メスがオスを食べちゃうって聞いたことある。
なんて考えてたら
「カマキリ持てるよ~」
と張り切って捕まえた花が
逃げようともがくカマキリのカマで
がりっとやられて…イタタタタ(>_<)
子どものころよく捕まえたけど
カマキリ持つのけっこう難しかったなぁ。

目の前の土管の中にはメダカがいっぱい。
白いのもいる。
メダカのために水草が入れてある。
外はいいなぁ。
2012年10月25日
2012年10月20日
にんにくもデッカイ!

これ
向かって右が普通のニンニク。
となりの大きいのもニンニク。
これでニンニクのひとかけ!
なんて名前なんだろう。
高知に来て初めて見た種類。
もともと畑でどんな形なのか見たことがなくて
種類も正式な名前も分からない。
ちょっと調べてみたけど分からない…
お店ではこのひとかけの形で売ってる。
普通のニンニクよりも切ったときにシャキシャキしてる。
匂いも味も若干マイルド。
たくさんいれても辛くなくて子どもたちも大丈夫。
初めて食べてからとても気に入って
見かけると買うんだけど…
なんて呼んだらいいのか気になる。
お店でもシンプルに「にんにく」と表示されてる。
高知の人はニンニクが大好き。
最近ではTVで取り上げられる機会も増えて
知られるようになったけど
それまではニンニクの葉なんて食べたことなかった。
関東ではお店に並ぶこともなかったし。
ニンニクの芽は美味しくて大好き。
でも葉は知らなかった。
見た目はニラみたい。
すき焼きの定番の具材!
すき焼きといえばニンニクの葉!
と私のまわりのたくさんの人に教えてもらった。
確かに、
ニンニクだけ食べて葉を食べないのはもったいない!
それに、なにより美味しいし♪
高知には大きなものが育つのかな。
ニンニクもそうだし
梨の「新高(ニイタカ)」も大きい。
関東で良く食べてた幸水、豊水、二十世紀は高知の
新高みたく大きくなかった。
大豊キュウリというヘチマみたいな大きさのキュウリが昔から食べられてる。
リュウキュウという芋の茎も1メートルくらいあるし。
食にも独特な文化があって
昔から生活のなかで続いて来てて
今に繋がってるんだなぁと
実感する。
日本中どころか
世界中の食がたくさん揃ってる東京圏では
味覚で感じることはできたけど
こんな感覚を感じる機会は多くなかったんだな。
自分の生まれ育った文化とずいぶん違う高知で暮らすからこそ
違いに気づくということかな。
2012年10月10日
ミルクティ。

どんどん秋が深まって
二日ぐらい前
朝、窓を開けたら冬の始まりの匂いがした。
冷たく澄んで張りつめた空気と草を焼いた匂い。
わぁ…冬がくるのか…
寒い朝の楽しみはミルクティ!
たっぷりの茶葉で濃いめに入れた紅茶に
これまたたっぷりの暖めた牛乳と
とろ~りハチミツ。
やさしくて暖かい。
子どもたちも大好き。
「ハチミツミルクチーにして~♪」
週末の朝にはリクエストにこたえる。
佐川町というところ(←行ったことない)
に住む人が作ったという紅茶をいただいた。
へぇ高知で紅茶を作ってるんだ…
紅茶というと
セイロンとかアフリカっていうイメージ。
日本の紅茶。
紅茶も緑茶もウーロン茶も碁石茶も
同じお茶の葉から作られるって聞いたことある。
そういえば
沖縄のホテルの朝食で
沖縄産の紅茶を飲んだ。
色も濃くて、豊かな風味だった。
ドリンクバーにあった牛乳をドボドボ入れて
勝手にミルクティーにして飲んだ。
すっごい美味しかったなぁ。
あまりにも気に入ったから
滞在中、毎朝そうやって飲んでた。
この佐川町の紅茶も美味しい(*^^*)
くせがなくて…強いインパクトがないから
ミルクティーで飲むには少し主張が弱いかな。
でも、やわらかくて優しい風味で好き。
ほっとする。

佐川町といえば
この牛乳。
気になってたのをついにget。
美味しかった。
今回は小さなパックを1つしか買わなかった。
飲もうとしたら
牛乳LOVEのあやが
「あやも飲む~(^o^)」
とやってきてごくごく一気飲み!
かろうじて一口もらえた。
美味しかった。
今度はちゃんと大きいパックにしよ。
それで…
ミルクティーにしよう!
それにしてもパッケージ。
牛乳のパッケージに黒と白。
斬新。
でも、確かに乳牛って黒と白だよ。
そういうことなのかな。
2012年09月22日
フットサル復活?!
久~しぶりに本気で身体を動かして
フットサルをした!
と言っても基礎練習がメインで
ゲームは最後に6分ハーフを数本。
全力で走ったり
止まったりターンしたりする時の身体の感じ
思い通りのコースにパスが通った時の感じ
見方と目で意志疎通する感じ
パスカットや相手のボールをとった時の感じ
ゴールを決めたチームメイトとハイタッチで喜ぶ感じ
ひとつづつ
あぁ…これこれっ!!
って感じて楽しくって仕方なかった(*^^*)
それでも身体は正直…
調子が良かったのは始めだけで
しばらくすると足が動かなくなった。
突然の電池切れみたく。
気持ちはあるのよ…
ホント…
頭では
「あ、私へのパスだ!走らなきゃ追いつかない!」
って分かってるのに
転がってくボールを目で追いながらも
歩いてる私の脚(^_^;)ほんとダメ。
まぁ体力無くなってるんだろうな
と予想はしてたけど
6分持たないなんて…
どーなってる私!!
自分にびっくりした。
フットサルでこれじゃぁ
フルコートのサッカーは無理な相談ね~(;´д`)
サッカーもしたいのに…
汗をたくさんかいて気持ち良かったし
すっごい楽しかった
でもでも
思い通りにちっとも動けないのが
悔しくてたまらない。
まずは基礎体力と持久力をなんとかしよう。
って何をしたらいいのかな。
夫のように毎日走るのはたぶん(いや絶対)続かない。
チャリ通しようかな♪
楽しそうだし、ちょっとかっこいいし♪
あとリフティングも練習しよう。
正吾に負けないように。
で、なんでまた突然フットサルなんか…
というと
夏休み頃から私が
子どものフットサルの練習についていくようになった。
そこで待ってるあいだ
子どもたちが楽しそうにボールを追う姿を見てたら
昔の事を思い出してきて
フットサルしたくてウズウズしてきた!
で、子どもたちの練習に数回混ぜてもらった
という訳。
オリンピックもあったし
TVでサッカーの試合見て
いいプレーや凄いプレー
諦めずに走り抜く姿に
感動感動の連続で
うぉ~ってなって
そのうち妄想が…
やりたい!って(^-^)
前回は妊娠を期にやめてしまったから
今回は細~く緩~く
でいいから続けたいな。
続けよう。
フットサルをした!
と言っても基礎練習がメインで
ゲームは最後に6分ハーフを数本。
全力で走ったり
止まったりターンしたりする時の身体の感じ
思い通りのコースにパスが通った時の感じ
見方と目で意志疎通する感じ
パスカットや相手のボールをとった時の感じ
ゴールを決めたチームメイトとハイタッチで喜ぶ感じ
ひとつづつ
あぁ…これこれっ!!
って感じて楽しくって仕方なかった(*^^*)
それでも身体は正直…
調子が良かったのは始めだけで
しばらくすると足が動かなくなった。
突然の電池切れみたく。
気持ちはあるのよ…
ホント…
頭では
「あ、私へのパスだ!走らなきゃ追いつかない!」
って分かってるのに
転がってくボールを目で追いながらも
歩いてる私の脚(^_^;)ほんとダメ。
まぁ体力無くなってるんだろうな
と予想はしてたけど
6分持たないなんて…
どーなってる私!!
自分にびっくりした。
フットサルでこれじゃぁ
フルコートのサッカーは無理な相談ね~(;´д`)
サッカーもしたいのに…
汗をたくさんかいて気持ち良かったし
すっごい楽しかった
でもでも
思い通りにちっとも動けないのが
悔しくてたまらない。
まずは基礎体力と持久力をなんとかしよう。
って何をしたらいいのかな。
夫のように毎日走るのはたぶん(いや絶対)続かない。
チャリ通しようかな♪
楽しそうだし、ちょっとかっこいいし♪
あとリフティングも練習しよう。
正吾に負けないように。
で、なんでまた突然フットサルなんか…
というと
夏休み頃から私が
子どものフットサルの練習についていくようになった。
そこで待ってるあいだ
子どもたちが楽しそうにボールを追う姿を見てたら
昔の事を思い出してきて
フットサルしたくてウズウズしてきた!
で、子どもたちの練習に数回混ぜてもらった
という訳。
オリンピックもあったし
TVでサッカーの試合見て
いいプレーや凄いプレー
諦めずに走り抜く姿に
感動感動の連続で
うぉ~ってなって
そのうち妄想が…
やりたい!って(^-^)
前回は妊娠を期にやめてしまったから
今回は細~く緩~く
でいいから続けたいな。
続けよう。
2012年09月19日
晴れた!

台風が去り
台風一過の晴天を期待した昨日は…また雨。
そして今日、ようやく晴れた!
久しぶりの青空。
気持ちいい。
洗濯物も外に干せた。
布団も干せた!
何日ぶりだろ。
(なんか私いつも布団干したがってるナ(^_^;))
外を見ながらから書いてるんだけど、
あぁ…
気がつくと一気に秋の気配だ。
季節の移り変わりって早い。
こないだ小学校のプール開きしたと思ったのに…
このままじゃあっという間に来年だよ。
まだ今日も30度まで気温は上がるけど
朝夕は涼しいを通り越して寒い。
寝るときも開けっ放しの窓を
今朝はさすがに閉めた。
田んぼの稲も段々頭を下げ色づき始めてる。
景色のあちこちに真っ赤な曼珠沙華が咲いている。
実りを終えた畑は土に戻され
見慣れた景色の
色合いや様子が秋っぽく変わってきた。
セミの大合唱もいつの間にか聴こえなくなってる。
代わりに赤いトンボがいっぱい飛び回ってる。
秋だなぁ。
ちょっと寂しげな感じもするけど
運動会の秋♪
フットサルの秋♪
読書の秋♪
映画の秋♪
そして
美味しいものいっぱいの秋~♪
夏も楽しかったけど、
またまた楽しみな季節の始まりです(*^^*)
2012年09月16日
プラハ♪
4時前に目が覚めて眠れなくなった
生協の注文表を書きながら何となくTVをつけたら
BS朝日でDeep planetっていう番組をやってた。
チェコのプラハ。
そこでは音楽が
日々の生活に深く染み込んでいて
そして自然と存在している。
5才から小学生の子どもたちが
可愛らしい、そして気持ちのいい声で歌っている。
小さな子どもたちがリラックスして
でも真剣に歌ってる表情。
歌いたくって歌いたくって!
楽しい……
そんな顔をしてる。
先生も楽しいそう。
ここは
歌が好きな子どもたちが通ってくるところ。
午前中は学校で普通に勉強し
午後になると
この音楽学校で音楽を学ぶ。
ここでもっともっと音楽に興味が出てきて
好きになると
音楽専門のコースに進む。
親が負担する授業料も僅かだという。
子どもの興味に応え、
後押しする仕組みを社会が作り
育てている。
こうやって、やりたいことを見つけて
続けることができたら
揺るがない厚みのあるワザができ上がるんだろう。
石畳の道、
重厚な歴史を感じさせる
建物や街並み。
生活は
効率が悪かったり、不便だったり
そんな事も多いと。
東京みたいな大都市の便利さや
スピード感とは遠く離れている感じ。
街中を走る路面電車の方向を変えるのに
電車の前面にある鉄の棒を使い
手動で操作することもあるという。
その不便さが多様性を受け入れるのだという。
漂っているのは
ゆったりと穏やかで柔らかい空気。
きっと経済的には潤っている訳ではないだろう。
でも
これもまた豊かな生活の一つ。
生協の注文表を書きながら何となくTVをつけたら
BS朝日でDeep planetっていう番組をやってた。
チェコのプラハ。
そこでは音楽が
日々の生活に深く染み込んでいて
そして自然と存在している。
5才から小学生の子どもたちが
可愛らしい、そして気持ちのいい声で歌っている。
小さな子どもたちがリラックスして
でも真剣に歌ってる表情。
歌いたくって歌いたくって!
楽しい……
そんな顔をしてる。
先生も楽しいそう。
ここは
歌が好きな子どもたちが通ってくるところ。
午前中は学校で普通に勉強し
午後になると
この音楽学校で音楽を学ぶ。
ここでもっともっと音楽に興味が出てきて
好きになると
音楽専門のコースに進む。
親が負担する授業料も僅かだという。
子どもの興味に応え、
後押しする仕組みを社会が作り
育てている。
こうやって、やりたいことを見つけて
続けることができたら
揺るがない厚みのあるワザができ上がるんだろう。
石畳の道、
重厚な歴史を感じさせる
建物や街並み。
生活は
効率が悪かったり、不便だったり
そんな事も多いと。
東京みたいな大都市の便利さや
スピード感とは遠く離れている感じ。
街中を走る路面電車の方向を変えるのに
電車の前面にある鉄の棒を使い
手動で操作することもあるという。
その不便さが多様性を受け入れるのだという。
漂っているのは
ゆったりと穏やかで柔らかい空気。
きっと経済的には潤っている訳ではないだろう。
でも
これもまた豊かな生活の一つ。